« 全共闘世代は もう老醜をさらけ出す時代ではない | トップページ | 「チェンジ」 アメリカと日本では月とスッポン »

何でも報道の自由は許せないし ネットも同じ

『ウィニー開発 「ほう助罪に該当しない」 元助手改めて無罪主張 

大阪高裁』(1月19日、産経) 『1審京都地裁で罰金150万円(求

刑懲役1年)の判決を受けた元東大大学院助手、金子勇被告(38)

の控訴審第1回公判が19日、大阪高裁(小倉正三裁判長)で開

かれた。弁護側は「ほう助罪に該当しない」と改めて無罪を主張。

検察側は「1審の刑は軽すぎる」と訴えた。』

               *

『弁護側はこの日、開発目的について「ファイル共有技術を確立する

ための実験だった」と説明。』 実験だったと言っても、無節操に世間

にばらまいて、ほんでもって責任なしとは普通に考えて思えない。

               *

よだれをたらしてウィニーを利用した方にも勿論責任があります。

この問題も良いネット社会を実現するための一つのハザードなのだ

と思います。

ウィニーを乱用したおかげで、自らのパソコン内のファイルをも世間

に公然とばらまいた人は後を絶たない。かくして被害者とも言えず、

気の毒とも思えない何ともはやの社会現象であります。

               *

新聞・TVに代表される既成マスゴミの売り上げは右肩下がり。

けっこうではありませんか。「報道の自由」を乱用して栄華を極めて

きたわけで、奢れる平家久しからず。当然の成り行きであります。

今の横並び翼賛報道は本当にみっともない。下手なサッカーチーム

のように、ボールに全員が群がっている按配。

商売のためにニュースを脚色捏造している事実も多々ありで、善良

な大衆をバカにしている。

               *

「メディアリテラシーがあんだろ」 と捏造マスゴミが言い放つ横柄さ

がもっとも問題です。おいらはこういう風に報道したが、ことの正邪は

お前ら勝手に判断しろという大上段からの姿勢は無責任そのもの。

毒入りギョーザは売ったけど、食うか食わぬかはあんたら読者の責

任だというようなものであります。

ニュース報道にも良品上品があるべきであって、粗悪品をばらまく報

道の自由などあるわけがない。

               *

メディア・マスゴミの斜陽は、やってきた所業を考えて歓迎します。

それに変わるものとして台頭してきたのはネット社会です。表現の

自由は当然尊重しなければならないけど、憲法刑法に反するネット

の自由はこれまたありえないのは当然です。

               *

裏稼業裏サイト、自殺幇助サイト等々、当然規制されるべきモノはた

くさん存在する。効用よりも悪用が目立つ小中学校性をなどを対象に

した学校サイトなどの問題性が顕著になってきています。

モグラ叩きと同じで、現実にいつの世も邪鬼の心を持った人間が存

在する以上、取り締まると同時に義務教育の段階で指導する必要が

あるのではないでしょうか。

これ以外でも社会人になるための道徳教育が、義務教育の期間ど

れだけなされているのか、大いなる疑念があり過ぎる。

               *

大前提、子育て責任は親の責任です。他人さまの責任ではない。

しかしながら、国旗国歌に反対するような学校に子供を預けて、社会

人として共生できる子供が育つのかどうか、よこしまな教師教員の

背中を見て生徒は悪く育つところもある。

               *

そもそもアサヒる報道の自由なんてものはありえないわけであり、

ネットにも無法地帯としての自由は本来ない。

きっちり罰するべきです。やみくもにネットを叩こうとするマスゴミ屋が

存在するが、これもまたロクでもない。情報維新は次のステージに

入っている。

               *

明日はオバマちゃんが大統領になる日です。さてさて。

               ☆

         クリックをお願いします。(^^)/

         人気ブログランキングへ

|

« 全共闘世代は もう老醜をさらけ出す時代ではない | トップページ | 「チェンジ」 アメリカと日本では月とスッポン »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

■ウィニー開発者、無罪を主張 大阪高裁で控訴審始まる-どういう結果がもたらされるか分かっていたはず
こんにちは。ウィニーに関しては、開発時点からどんな結果をもたらすかは、ほぼ推測できたと思います。現在のように知識の移転が容易になった時代においては、一般の人でも一昔いわれたような、「科学者の責任」のようなものが問われる時代になってきていると思います。特にITに関しては、一般の人でも知識を得て、様々なものが開発できる可能性が高まっています。このような時代においては、以前と比較して「情報」に関する責任がすべての人に問われるようになったのだと思います。この裁判法的には、未だ整備がされていないため、どのうよな結果になるのか、私のような素人では審理を経てからでないとわかりませんが、道義的責任は免れないものと思います。詳細は是非私のブログをご覧になってください。

投稿: yutakarlson | 2009年1月20日 (火) 11時10分

>yutakarlson さんへ

拝読にお伺いします。

投稿: 管理人 | 2009年1月20日 (火) 20時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 全共闘世代は もう老醜をさらけ出す時代ではない | トップページ | 「チェンジ」 アメリカと日本では月とスッポン »